大晦日のひとり言


大掃除も終わり、年越し蕎麦も食べ、あとはいよいよ除夜の鐘を待つばかりです。

ここ数年の冬休みは特にどこかへ出かけるわけでもなく、部屋にこもって読書をしたり、たるんだお腹にむち打ってランニングをしたりと、ゆっくりとした時間を過ごしています。


今年はとりあえず二冊の専門書を読破しようと計画中です。


「美術教育ハンドブック」監修 神林恒道・ふじえみつる (株)三元社

「美術教育学の現在から」学術研究出版

ざっくり言ってしまえば、二冊とも美術教育に関する論文集です。


ページ数で言えば9~10ページほどの様々な論文が集められています。それぞれの論文を読みながら新たな知識を吸収したり復習したり、これまでの活動や私的な考えと比較しながら読み進めているわけです。


その中で今日読んだ内容で気になる箇所があったため、久しぶりにブログの方にメモとして引用させていただきたいと思います。


それは、このアートコンパスの活動の根幹とも、原点回帰ともいえるものです。




「美術教育ハンドブック」P.174~175

17 美術教育と美術/アート 神野真吾氏 ~社会に開かれた「美術」へ~

・対象と向き合ったり、ある環境に身を置いたりした際、そこで自分が得た感性的情報は自身の認識に更新を迫り、新たな意味づけが行われる。そうした人間の能力をボイスは創造性とし、社会を変革する最も重要な能力と位置づけた。感性に基づいたそうした認識能力は、あらゆる職業において、その仕事(work=作品)を創造的にするだろう。その意味において、ボイス曰く「万人が芸術家である」のだ。そして個々人がそのような創造性を、それぞれの場所で発揮したときに、社会はすべての人が関わった芸術作品としての「社会彫刻」となると彼は主張した。


・アーティストはある環境に身を置いて、感性的な刺激を受け取る。そして、歴史や経済構造、景観その他をリサーチすることなどを通して、ありきたりだと思われている対象に、別の角度から光を当てその魅力を可視化するものとして作品化したり、そこに何らかの課題を見出し、それに関与する形で作品行為を行ったりする。


・感性を通した認識能力や、それに基づいて創造していく力を社会との関わりにおいて生かすことを美術科の目標とすること・・・


そしてもう一つ、この文を読んでいた時、あの宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」を思い起こされました。


われらのなかで芸術家とはどういふことを意味するのか


職業芸術家は一度亡びねばならぬ

誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう
創作止めば彼はふたたび土に起つ
ここは多くの解放された天才がある
個性の異なる幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる


どちらも共通していることがあり、私たちは目の前に広がる世界を、見て、触って、感じて、考えて、そして認識し、その関わる環境の中で各々の個性に基づいたかたちを日々の生活を通して表現し続けていくわけです。


アートコンパスが目指す美術教育は、この「学びの本質」をしっかりとこの地域に根付かせていきたい。

そしてアートを通して開かれた社会を目指していくのであれば、私自身がアーティストとしても、社会にもっと飛び込んでいかなければなりません。


なんとなく今後の目標が見えてきたかな?

さっ、これからランニングしてきます。


それではまた!!






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