遠近法って何?


今回の講座を機に「遠近法」について改めて調べていくと、「えっ、そうだったの?知らなかった~!」といったことが出て来る出て来る(笑)。やっぱりいくつになっても勉強って出来ますよね?遠近法の世界は本当に奥が深いです。

遠近法を今月中にまとめられるかな?と思っていましたが、やっぱり難しいです(笑)。そして遠近法を学ぶ術は、書籍のリサーチや、今回の屋外での写生会だけではなく、様々な学習方法に細かく分解できると思いました。

例えば、レリーフづくり、ピンホールカメラづくり、中国と日本の水墨画、印象派やキュビズムの世界などなど。一見ばらばらに見える内容ですが、一貫して遠近法という手法が時代を越えておでんの串のように様々な具、つまり時代ごとに移り変わる芸術運動を貫いています。なぜなら遠近法の歴史は、絵画の歴史そのものと言っても過言ではないからです。

ここだけのお話、「しまった!とんだところに足を踏み入れてしまったぞ」と思っていますが、来年度以降も継続的にアート基礎講座に取り入れていくことで、つまりパズルのピースのように組み合わせていったら、遠近法という大きな作品が出来上がる!と考えています。このことが分かっただけでも良しとします・・・自分の中で。

さて前置きが長くなりましたが、前回のブログでもお伝えしたとおり、今回の動機・意図は全く変わりません。

自分を含む参加者の皆さんには、「対象を自分の目で直によ~く観察して、その色や形、大きさや遠近感などを肌身に感じ、その感じたことをそのまま絵筆や鉛筆を通して、画面の上に落とし描いて欲しい!」と。

この軸はぶれずに、今月のアート基礎講座では、屋外での写生会開催までブログの方に「遠近法」についてあと2回ほどお話しできればと思います。

一つは「遠近法って何?(遠近法の概要)」、もう一つは「遠近法は多様なの?(遠近法の種類)」について。
 
 

遠近法って何?

 
遠近法の概要についてですが、かなりざっくりとお話をさせていただきます。もしそれは違うよ!といった点がありましたらご指摘をいただければ幸いです。

英語で「perspective(パースペクティブ)」と言い、例えば絵画や建築の世界では、その描かれた対象が不自然に見えたりすると、「パースがおかしい」「パースがくるっている」などとよく言います。私も美術予備校でデッサンを習っていた時、先生からよく「パースがおかしい」と良く言われたものです。

その語源を調べていくと、今まで知らなかったとても興味深いことが分かりました。それはもともとイタリア語の「prospettiva」、さらに中世の「perspectiva」という「光学」を意味するラテン語で存在し、(なぜ「光」が出てくるの?)実は私たちが「パースと言えば、線遠近法!」とは少し意味が違っていたようです。

もうちょっとだけこの話をすると、遠近法の誕生が、実は当初「光学」を意味するものから「線遠近法」へとその意味を変えていったという説があります。例えば、暗い室内の壁に小さな穴があり、そこから漏れる光線が反対側の壁に当たったとき、外の景色が上下反転した画像が映し出される自然現象(カメラの原形)から絵画や建築の遠近法が生まれたというのです。「遠近法の祖」と言われるブルネレスキ(1377-1446)が、その自然現象を利用した透視装置を使って(1409年頃)外の世界を忠実に写し描いたと言われています。 

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(イタリア・フィレンツェ)の
クーポラ(丸屋根)の設計を行ったのがブルネレスキです。

もしそうであれば、個人的にその過程から考えられる哲学的考察をじっくりと味わってみたいと思っています。このお話にご興味のある方は「辻茂著・遠近法の誕生 ルネサンスの芸術家と科学」を是非ご参照ください。

そしてアルベルティ(1404-1472)が著書「絵画論(1435年)」の中で、遠近法の理論を確立されます。ちなみにこの著書は西洋絵画も確立したとも言われています。

この一連の流れを受けて、あのレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)が、3つの遠近法を考案します。
 


線遠近法(縮小遠近法)

 
が描いた「最後の晩餐」をご覧下さい。建物内の床や天井の線をのばしていくと、ある一点(イエスキリストの顔)に収束されていきます。その点を「消失点」と言い、すべてのものがその点に向かってす~っと吸い込まれるような奥行きを感じさせます(事物も縮小していきます)。そして、その消失点と重なる平行線が、実は描いている人(見ている人)の目の高さと等しくなります。この遠近法を線遠近法(縮小遠近法)と言い、別名「一点透視図法(いってんとうしずほう)」とも言います。

 
「最後の晩餐」(1495-1498)

例えば屋外で皆さんが一定方向を同じ地点で見ている時、しゃがんで見える風景、中腰の風景、直立して見える風景では、その高さによって見える景色が異なるわけです。

別な言い方をすれば、ルネサンスの時代にこの線遠近法で描かれた絵画を見れば、その消失点の位置や描いている目線の高さまで分かってしまうわけです。

 
ルネサンス初頭の遠近法
ジョット(1267-1337)作「エジプトへの逃避」1305年頃
奥行きが「最後の晩餐」と比べると、そんなに遠くないことが分かります。


空気遠近法(色彩遠近法と細部省略遠近法)


少しわかりづらいのですが、空気遠近法とは、「色彩遠近法」と「細部省略遠近法」を合体したものと捉えて差し支えないと思います。

色彩遠近法とは、画面の奥行きが遠くに行くにつれて、その空気の層の分、色彩の減少を意味します。具体的には青色の絵具を混ぜて表現していたようです。

例えば、モナリザの作品をご覧下さい。画面の構成を「近景」「中景」「遠景」の3つに分けた時、「遠景」の風景が青色を基調として描かれているのがお分かりだと思います。

そしてまた遠くにいくにつれて、形の細部が水墨画のように省略されていることも合わせてご理解頂けると思います。(細部省略遠近法)

 
「モナリザ」
1503-1519年頃作成
 
モナリザの左肩部分の背景(拡大図) 
 
長谷川等伯「松林図屏風 右隻」(1593-1595)
 
 
「絵画についての話― プロスペッティーヴァは、絵画との関係では、三つの主要部分に分かたれる。その第一は、物体の大きさは距離の変化によって縮小するということである。第二の部分は、その物体の色の減少にかかわっている。第三は、その物体が持つ像や輪郭についての情報がさまざまの距離において減少するということである」

レオナルドの手稿より 「遠近法の誕生 ルネサンスの芸術家と科学」辻茂著 P.22より抜粋



つまり、遠近法とは別な言い方をすれば「2次元の世界(平面)に、3次元の世界(奥行き・空間)をどう表現するか?」とも言えると思います。ある種、視覚のイリュージョン(錯覚)なわけです。

勿論、この視覚の錯覚は、古くは2万年前の洞窟壁画ですでに描かれています。

ラスコーの洞窟壁画
馬の前足と後足、それぞれが手前と奥で表現されています。


ただその錯覚を科学的に考察し、その融合を通して飛躍的に遠くまで表現が可能になった時代が、この「ルネサンス時代」なわけです。

余談ですが、17~18世紀、遠近法はその成熟期を向かえ、19世紀、後期印象派の画家達の手によって「遠近法の死(否定)」が迎えられます。それは一つの視点で描くものから、複数の流動する視点で描かれるもの=日本や中国の絵画(遠近法)の特徴と共通、に移っていったわけです。

次回、このことについて詳しくお話しようと思いますが、どうして私たち老若男女の日本人が「印象派」が好きな理由の一つに、私たちの心身に馴染むこの「複数の流動する視点」がヒントになっているのかもしれません。

レンブラント(1606~1669)
「フランス・バニング・コック隊長の市警団(1642年)」
 
アンドレア・ポッツォ(1642-1709)作
サンティニャーツィオ協会の天井画(1685-1694)


では、遠近法の意味を「平面の世界に視覚のイリュージョンをつくりだすこと」であれば、線遠近法や空気遠近法意外にも、その表現方法は世界の数だけ、時代や文化の数だけ様々に存在するのではないのでしょうか?

つまり、遠近法は多様なのでしょうか?



 

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