動機
今回、屋外で写生会を行おうと思った経緯を説明すると、昨年、同講座で参加者の子どもや大人達の様子を見ていて、例えば何かの対象を画用紙などに描こうとする時、スマホでその対象を検索し、その画像を見ながら描いている様子が年間を通して多く見受けられました。
今のスマホ時代、決してそのことを否定するつもりはありませんし、私自身、画像に限らず日本語や英単語を調べる際もよく活用しています。と同時に、一日24時間の内、かなりの時間をスマホに捕らわれ、生活のリズムを崩しているような(笑)・・・(これはこれでまたの機会に議論したいと思います)
ただ心のどこかでアートコンパスでは「やっぱり対象を自分の目で直によ~く観察してもらい、その色や形、大きさや遠近感などを肌身に感じて、その感じたことをそのまま絵筆や鉛筆を通して、画面の上に落とし描いて欲しい!」と思っていました。
今のスマホ時代、決してそのことを否定するつもりはありませんし、私自身、画像に限らず日本語や英単語を調べる際もよく活用しています。と同時に、一日24時間の内、かなりの時間をスマホに捕らわれ、生活のリズムを崩しているような(笑)・・・(これはこれでまたの機会に議論したいと思います)
ただ心のどこかでアートコンパスでは「やっぱり対象を自分の目で直によ~く観察してもらい、その色や形、大きさや遠近感などを肌身に感じて、その感じたことをそのまま絵筆や鉛筆を通して、画面の上に落とし描いて欲しい!」と思っていました。
これが今回の動機です。
つまり、直に対象と触れ合って欲しい!室内での制作だけでなく、屋外のフィールドワークも加え、豊かな感性を育む多様な機会をアートコンパスでは増やしていきたい!と。
つまり、直に対象と触れ合って欲しい!室内での制作だけでなく、屋外のフィールドワークも加え、豊かな感性を育む多様な機会をアートコンパスでは増やしていきたい!と。
しかし、いざ講座の具体的な内容を考え始めると、その仕上がり、つまり参加者一人ひとりが屋外で描く自分の好きな風景は、15世紀のヨーロッパ・ルネサンスで誕生した「遠近法」、あのレオナルド・ダ・ヴィンチが確立した、線遠近法、空気遠近法、色彩遠近法に沿って描かれなければならないのだろうか?
当初の計画ではこの「ルネサンス遠近法」に沿って講座を行おうとしていました。しかし、今の私の本当の気持ちは「対象(風景)の遠近感を捉える方法は、果たしてそれだけだろうか?否、それだけじゃ、つまらない。今のこの時代、一人ひとりに合った遠近法が存在するんじゃないだろうか?」
「最後の晩餐」
「線遠近法」で描かれています
(詳しくは次回以降お伝えしたいと思います)
皆さんもよくご存知の「モナリザ」
背景が「空気遠近法」で描かれています。
遠くへ行くほど、形があいまいになり、色彩に青みが増していきます。
もし当初の考えに沿って講座を進めると、成長段階の子供達がよく描く傾向として、風景を上から見下ろしたような風景(鳥瞰図)であったり、人や自然などの対象の遠近感や大きさの捉え方を客観的ではなく、主観的(感情的)に描いていく事は、子どもから大人まで集う楽しいアートの場において、否定しなければならないのだろうか?
アートとは自由である!
私の考えをこの場を借りて、はじめに述べさせていただくと、
今回の写生会では、客観性に優れた線遠近法や空気遠近法のものであれ、対象の大きさや遠近感が主観的に描かれたものであれ、対象の色や形が主観的な表現であれ、どのような表現でも受け入れていきたいと考えています。そしてその先に参加者一人ひとりの対象(風景)から感じた感性と表現を尊重し、参加者同士でその「違い」をあたたかく共有していきたい!と思っています。
ここまで来た時、私の頭の中にまた新たな疑問が浮かび上がりました。
それじゃ~、遠近法って何?
遠近法って多様なの?
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