筑波山麓秋祭り 二日目(後編)

怒涛の秋祭りもいよいよ終盤!

最後に野外美術展「Art Session Tsukuba 2017」と道中の小話に少々お付き合いいただきたいと思います。

14:00~15:30 Art Session Tsukuba 2017



午後は時間が許す限り、ゆるりと山麓の田畑と自然を愛でながら、野外作品をルートマップに沿って見て回りました。

コチラの野外展示は、午前中に回ったアーティスト・イン・レジデンスとは違い、つくば市文化芸術事業の一環で公益財団法人つくば文化振興財団が主催。今回で6回目になるそうです。※ 会期は11月12日(日)まで










六所大仏



六所大仏のところに差し掛かった時、後方にある万葉集の歌碑が気になって写真を撮っていると、どこからともなく地元のおじさんに声をかけられました。


どうやらその方は、この六所大仏の取り付け工事した方の知り合いらしく、

「この蓮の台座を抜かして大仏だけで何キロあるか知ってるか?」と突然の大仏クイズ?

「実は軽いとかで、だいたい3~5トンぐらいですか?」と答えると、

「35トン(私のうるおぼえですが、確かこのくらいの重さだったと思います)」台座の蓮も合わせるとおよそ80トン近くの重さだそうです。

「へぇ~~」

そしてこの白い石は中国から運ばれたものだそうで、2004年当時、設置するのにはじめクレーンでは持ち上がらず苦労したとか。

その答えを受けて「どうして地元の筑波の石で作らなかったんですか?」と逆にたずねると

「筑波石は硬すぎで彫刻には向かない。表面がごつごつしていて黒くなり味が出て庭園の石に向いているんだよ」とのこと。

なるほど!地元の方とお話をするといろいろと出てくる出てくる!(驚)


筑波石の表面

そして、「このすぐ近くに六所皇大神宮跡があるから、昔の大きな石の鳥居跡が見れるから行ってみるといいよ。」と言われ、勧められるままに行くことにしました。


六所皇大神宮跡(ろくしょこうたいじんぐう 通称:六所神社)



この大きな石が、おじさんが言ってた鳥居の跡かな?


その場所はひっそりとたたずんでいました。

その歴史は古く、創建は紀元前657年。神武天皇の時代。

筑波地方の総社だったそうで、気になったので少しその歴史を帰ってから調べてみると、いろいろな事が分かってきました

  • 紀元前130年正月、筑波の神主に勅して祭事を定め、夏至と冬至のとき、「筑波山上の宮」との間で「御座替祭」が執り行われ、「筑波山里の宮」とも「男女御座替の宮」とも呼ばれていたこと。(現在は筑波山神社の「御座替祭」として継承)
  • しかし、明治政府による神社統廃合で、社殿は明治41年~43年の間に壊され廃社となり、蚕影神社へ合祀(神霊を合わせてまつること)されたこと。
  • 大正はじめ、荒廃した跡地に心を痛めた高木福太郎氏が地元の方達と協議し協力し合いながら整備保存活動を行っていたこと。
  • 毎年4月10日に御祭神鎮座の例大祭「六所大祭」が行われていること。


私としては、昔の人々が筑波山を神体山とみて、その社(やしろ)を筑波山麓の中心に配置することなく、地理的に南麓の東方に配置しているところに日本人としての美意識を感じました。例えば西洋とは対照的な非対称性や不完全の美学などなど。

そして昔はここの神宮横の山道から登り、夫女ヶ原を通って山頂を目指した道が本当のルートだったそうです。

昔の民はこの道を登り、筑波の頂上を目指したんですね。(感慨深い)


地元民でもまだまだ知らないことがたくさんありますね。

おそらく取り壊された社殿があったであろう場所から下を見下ろした時、直感的にここが本当の「里の宮」なんだと感じました。

春になると神様が山から里に降りられて、秋になると里から山へ戻っていかれる。

またいつか、ここには戻ってきたいと思います。















おしまい!


参照元

Art Session Tsukuba 2017: http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/14271/14654/021523.html
公益財団法人つくば文化振興財団: http://www.tcf.or.jp/
つくばスタイル・ブログ「六所神御衣祭」: http://www.tsukuba-style.jp/blog/2014/04/8577.html



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