補足: 見立ての美学

先日開催したみんなのアート基礎講座「見立ての世界~私の箱庭」の中で、作品発表時に参加されたご夫婦から制作中にこんなやり取りがあったことが話されました。


「それは見立てではなく、ジオラマじゃないのか?」


このご指摘は「見立て」を学ぶ上でとても興味深い発言で、その時に私から後で詳しくご説明する旨を参加者の皆さんにお伝えしました。

ここでは以下の著書を参照しながら、少し詳しくお話していきたいと思います。


 

先ず初めに、「見立てとはなぞらえること、たとえること」とレクチャー中に説明させていただきました。

捷氏の著書には見立てのことを以下のように述べています。


「見立ては、つきつめて言えば、異なる事象たる甲と乙との間に共通した要素を見つけることである。それは、身ぶりしぐさなどの生活の知恵としての見立てから、芸術表現の様式としての見立てまで、幅が広い。」(P.38)

「見立ての美学、見立て的な思考は、あくまでも相対的で、中間的である。」(P.208


見立てが相対的?中間的?とはいったいどのような意味なのでしょうか?


例えば、皆さんの目の前に子どもの背丈ぐらいある大きな石があったとします。そしてよく見ると、その形や模様から「大きなカメ」を連想したとします。

つまりこの状況下では、皆さんは石をカメに見立てたわけです。そしてその見立てたポイントは、どちらかに偏った側(石またはカメのどちらか)にあるのではなく、石とカメの中間地帯に自分の美意識を置いてみたわけです。

石の形や模様などカメに共通する要素を見出すことができなければ、それは「ただの大きな石」ですし、その石を彫刻作品として手を加えて瓜二つにしてしまったら「石でできたカメ」になってしまい、そのどちらにも「見立て」は成立しません。


「見立ては、物事の間の境界線をぼやかすことによって、今までとちがう視点で物事を捉え、異質な物事の間の新しい関係を発見することができる。たとえ凡庸な見立てでも、見立てた本人にとってそれは新しい発見であり、それによって一時の精神の解放ややすらぎを得る。だからその喜びをいったん知った人は、なかなか容易にそこから抜け出せなくなり、見立て狂いになってしまう。そして、見えない、または見えにくい物事の間の微妙なつながりをつぎつぎと見いだすことによって、人々の感性がきめ細かく磨かれていく。」(P.64

境界線を取り払い、またはぼやかすことこそ、見立てのねらい目であり、活路である。物事の間にあると思われる境界線をつぎつぎと奇抜な思いつきや鋭敏な感性でこわし、物事の間の新しいつながりを見つけようとする好奇心、および見つけたときの喜びこそ、江戸っ子たちを見立て狂いに駆り立てたのである。」(P.63


江戸時代には見立てを用いてその優れた感性をもった相手に対して「通」「粋」な人とも言っていたようです。

その反対に見立ては、交わりすぎ、対象への深入りを忌むものであり、それは「通」でも「粋」でもなく、「無粋」「野暮」になってしまいます。



話を戻します。


「それは見立てではなく、ジオラマじゃないのか?」


今回限られた空間の中で参加者の皆さんには「私の箱庭」を制作していただきました。身近な素材を様々なその世界を構成する要素に見立てて・・・もしそこでその素材を加工しすぎてしまい、つまり交わりすぎてしまったら、それは「見立て」が成立しなくなってしまいます。

ただ講座の中ではあまりそのことに縛られすぎず、自由に楽しく箱庭づくりを行いたいと考えました。見立てのものがあっても、そうじゃないものがあっても。


話が少し拡大しますが、

その境界線のぼやかしを表現する事は、あいまいさを否定しがちな西洋の考えをたっぷりと享受してきた私たち日本人にとって、とても難しく感じることかもしれません。けれどそこがまた大変に面白いところだと個人的には思っていますし、今回の講座の隠れメッセージがそこにあります。

それはこれからの時代、私たちは様々な異文化と接する機会が今以上にもっともっと増えてくると思われます。そのときに私たち一人ひとりが直面するであろう今まで経験したことのない課題や問題を目の前にした時、皆さんはどのように対処していきますか?

私たちは過去の教訓から「排除」することの苦い経験を学んでいます。同じ事をまた繰り返しますか?それとも別な道を探り歩みますか?

もしかしたらこの状況下で「見立ての術」が活かせるのではないか?と思っています。つまり異文化を前にした時、安易に排除の選択を取らず、その中間のあいまいさをさぐることによって異文化の彼ら彼女たちに歩み寄り、つながりを見つけることができるかもしれません。画一ではなく多様な新世界に向けて。私もこの場で言葉で述べる事は簡単ですが、正直自分自身にあてはめた時、本当に出来るかどうかはわかりません。ただその努力はしてみようと思います。

話がだいぶ長くなりましたが、今回はこれにて「見立て講座」を終わりにしたいと思います。


地元を車で走っていると必ず視界の中に筑波山が入ってきます。子どもの頃から大きなカエルにしか見えない山が(笑)

地元にUターンして4年が経とうとする今日この頃、地域の人たちや自然に少し歩み寄れたかな?

それではまた!










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