アトリエスタ

昨年と比べて、ここ最近だいぶ読書量が減っている気がしている。

そんな中、一語一句、とても心に響いてくる一冊の本に出合え、時間が有るときにゆっくりと読み進めている。



「保育とアート」に纏わるこの本を購入し、自分が今読んでいる大きな理由は、みんなのアート広場やアート基礎講座、そしてNPO法人まるでのアート教室において、参加者の年齢層が、未就学児童及び小学低学年生(とその保護者の方達)がほとんどだからだと思われる。

裏を返せば、この傾向の事実の中に、地域の声や課題点が隠れているような気がしてならない。

「なぜ今、小さい子供達(とその保護者)がアートを学ぶ場を求めているのか?」

 
これまでの経験では、高校を卒業した学生達や比較的年齢層の高い方たちとの交流経験が多かった為、改めて、小さい子供達とのかかわり方について、分からないながらも、現状良い経験をさせていただいている。と同時に、その経験を理論的に、客観的に分析し、省みる必要がある。その両面を併せ持って初めて私自身の力にも繋がってくる。

同書を読み進めていくと、実はアートコンパスでタイムリーに経験していることが出ていたり、「そうそう!それそれ!!」などと興奮しながら読み進めている感じだ。

今回はその中でも「アトリエスタ(芸術家)」について、以下に少々長めですが抜粋します。

 
 レッジョ・エミリアの紹介によって「アトリエスタ」の存在が日本でも注目され、美術家の保育への参画、連携、協働が期待されつつある。
 しかし、日本の現状においては、レッジョのように保育者と美術家が共同で日常の保育を構想し、美術家が保育に密着しながらその子の背景と表現を結びつけ援助していくことは、人的にも組織的にも難しい。実際、多くの園では、保育者がアトリエスタの役割を同時に果たしている。その場合、子どもの側に立った材料と表現への理解はもちろん必要だが、保育者自身が美術の達人である必要はない。その役割は、子どもが自発的に表現を生み出し深めることを導くことであり、子どもの視点から表現の可能性を予測し、準備して、子どもの遊びを支え、ともに感じ合えていけるかどうかにかかっている。・・・・・
 また、美術家の課題は、何より幼児とその表現を理解することにある。保育の現場において表現の知識と可能性を提案できる美術家の存在は、存在そのものに意味があるといえる。
 
P.65 第4章「生活とアートのつながり」 5アトリエスタとしての保育者


私はこの文を読んだ時、まるでのアート教室における自分(=アトリエスタ)の立場であったり、これからの地域保育におけるアーティストの立場、役割であったり を重ね合わせながら、楽しくまい進していきたいと思う。


※ レッジョ・エミリア・・・北イタリアの小都市で、町をあげて芸術教育と幼児教育に力をいれている。以前から個人的にもリサーチしてみたいと思っており、今年度中に皆さんへご紹介できればと思っています。



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