私の好きな風景

みなさんは「何かを描きたい!描いてみたい!」と思った時、その対象(題材)は何ですか?

それはきっと友人や家族など身近な人物であったり、または美しく感じた屋内外の風景だったり、はたまた心の中の悶々とした気持ちを形のない抽象画で描いてみたりと、その都度、様々だと思います。

私たちが生きている現代では、基本的に描く対象の選択は、描く人本人の自由であり、また受け手である鑑賞者にとっては、その描かれた内容を美しいと感じたり、その反対に嫌悪や不快に感じたりと、まさに描く選択も受け取り方も「十人十色」の世界です。

ですが、皆さんは想像できますか?

ある時代、絵画において描かれる対象に「格付け」があったことを。
別な言い方をすると、描く内容に対して偏った価値観の高低差(十人一色の世界)があったことを。

実は今回取り上げる19世紀後半(1860年代以降)にフランスで起こった絵画運動「印象派と新印象派」はそんな格付けされた従来の価値観に対して一石を投じる革新的な運動でもありました。

それまでの絵画の常識は、歴史画を頂点とするヒエラルキー(階級)がありました。

 ①  歴史画
 ②  肖像画
 ③  風俗画
 ④  風景画
 ⑤  静物画


フランス絵画の規範であった歴史画
ニコラ・プッサン「ソロモンの審判」(1649)


現代の単一化ではない「多様な価値の創造に進む今」に生きる私たちにとっては「えっ?何でそんなことになるの?」と思ってしまいますし、「馬鹿げている、ナンセンスだ!」と言ってしまいそうになりますが、今から約150年前までのフランスではそれが常識だったわけです。

私個人の気持ちからすれば、当時の画家たちにとってはそんな窮屈な柵を破りたくて仕方がなかったのではないか?と思わずにはいられません。ですが時代は封建時代の慣習がまだまだ残る近代化への過渡期(前近代)、現代の状況とはかなり違うはずです。

つまり、印象派の画家たちは、その価値が低いとされた対象(風景や静物など)を好んで描き、当時の外的要因(ジャポニズム:浮世絵やカメラの発明などの影響)を自身の画風に取り入れながら、その「新しい描き方」にも探究していったんです。


今回のテーマである「私の好きな風景」はこのような歴史的背景にも重ねてみながら、参加者の皆さんに「点描」という画法を使って描いていただこうと考えています。

つまり、今回は「印象派の画家たちの革新的であった題材と画法を追体験する」と言う事もできます。

点描といったらやっぱりこの人、ジョルジュ・スーラー(1859-1891)です。
昔、美術の教科書にもよく載っていましたよね!
上画:「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(1884-86)


もちろん、このテーマから参加者の皆さんが「風景」という言葉を自由に解釈していただいて結構です。

例えば、過去の旅行先でとても記憶に残る美しい風景でも良いですし、家族団らんでいる屋内での風景、また行ったことはないけど、いつか絶対に行ってみたい場所(の風景)やいつも頭の中をかすめるイメージの世界(心象風景)でもOKです。

是非、いろいろと考えを巡らしてみて下さい!

そして講座当日にその2〜3候補の資料(写真、コピーしたもの、書籍 etc)を持参していただきたいと思います。


さて次回のブログではその新しい描き方であった「点描画法」について、私の過去の思い出とともに少しだけ触れてみたいと思います。

次回もお楽しみ下さい!


参照文献:
「印象派という革命」木村泰司著 集英社
「印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ」中野京子著 NHK出版新書



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