コミュニケーション能力

日本の劇作家・演出家である平田オリザさんの「わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か」という本を読んでいます。



前々から平田さんのことが気になっていて、というのも自分が読む他の本にもちょくちょく同氏の名前が出てくるものですから、一度彼の著書をじっくりと読んでみたいと思い、このお盆中に読み始めた次第です。

また、「コミュニケーション能力」というと、今何かと新聞やテレビ等のメディアや教育関連の場でよく聞く言葉ですが、自分自身、この言葉に対して少し考えを深めて行きたいという思いもありました。

さて、 

現在、日本の文部科学省では、コミュニケーション教育推進会議を設置し、芸術表現を通じたコミュニケーション教育を全国に推進しています。

もちろん、その背景には、国際化に伴い、異なる文化や価値観の人々との間で、その理解や自己主張する能力(対話する能力)が必要となっているためです。

具体的には、俳優や作家、ダンサー、アーティストやミュージシャンなどが全国の小中高等学校に出向き、言葉や身体など各々の表現媒体を通して子どもたちにコミュニケーションの豊かさを伝えています。

平田氏もこの事業の一環で直接ご指導をされているのですが、そこでの経験や教育現場から感じたことをこの著書の中でストレートに述べています。


まだ第1章を読み終えただけなのですが、そこだけでも、とても重要なことをたくさん話されているなか、かなりの部分を割愛させていただき、気になった箇所を抜粋すると、

同氏は表現教育、コミュニケーション教育にについて、そもそものところで、日本社会が今の子どもたちに要求するコミュニケーション能力が、仕事に就く(社会に出る)までの「喋らない環境」(コミュニケーション意欲の低下問題の原因とされている)を上回る勢いで高まっていると同時に、教育の現場がそこに追いついていないと述べています。


“しかし、そういった「伝える技術(スピーチやディベートなど)」をどれだけ教え込もうとしたところで、「伝えたい」という気持ちが子どもの側にないのなら、その技術は定着していかない。では、その「伝えたい」という気持ちはどこから来るのだろう。私は、それは、「伝わらない」という経験からしか来ないのではないかと思う。
いまの子どもたちには、この「伝わらない」という経験が、決定的に不足しているのだ。・・・

おそらく一番いいのは体験教育だ。障害者施設や高齢者施設を訪問したり、ボランティアやインターンシップ制度を充実させる。あるいは外国人とコミュニケーションをとる機会を格段に増やしていく。とにかく、自分と価値観やライフスタイルの違う「他者」と接触する機会を、シャワーを浴びるように増やしていかなければならない。”


うん!これはまさしく「みんなのわくわくアート工房」のコンセプトと重なるところがあります。また、同氏は、


「日本では、コミュニケーション能力を先天的で決定的な個人の資質、あるいは本人の努力など人格に関わる深刻なものと捉える傾向があり、それが問題を無用に複雑化していると私は感じている」


と述べたうえで、次のように話されています。

“ペラペラと喋れるようになる必要はない。きちんと自己紹介ができる。必要に応じて大きな声が出せる。繰り返すが、「その程度のこと」でいいのだ。「その程度のこと」を楽しく学んでいくすべはきっとある。”


そもそもなぜ、この話をこのブログで取り上げたかというと、

これを読んだ時、先日少し触れた来年以降の開催を検討している「仮称:英語でクッキングin筑波山麓」が頭をよぎったからです。

つまりこの企画の意義・目的として、子どもたちを含む参加者の皆さんに、異文化交流の一環として、しゃべりたくなる意欲が高まる環境を整備するだけでなく、英語という外国語を通して、なかなか「伝わらない」機会を提供することが、この企画の目的のひとつでもあることを再確認したからです。

また話が長くなりましたね(笑)

まだまだ話し足りないのですが、今日のところはこのへんでお終いにします。



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