抽象絵画って難しい?
昨年の基礎講座を行っていたとき、元気が有り余る子どもたちの様子を見ていて、ふと思いました。
「子どもたちが椅子に座って机の上で作品を制作するだけでなく、体全身を使って作品を制作する機会を設けたいなぁ~」と。
制作行為は、黙々と椅子に座り、イーゼルや机の上だけのものでは決してありません。
そのときはただ漠然と「来年に是非、大きな画用紙を床に置き、体全体の動きを使って、抽象絵画を描く講座をやってみたい!」と思っていました。
しかし、今年に入って具体的な講座内容を考えていた時、ある懸念が湧いて来ました。
私たち大人も含め、特に小さい子どもたちが「抽象絵画」を理解できるのだろうか?どうやって抽象絵画の魅力を伝えることが出来るのだろうか?
西洋美術史における「抽象絵画」の歩みを紐解けば、私たち人類の対象(人物や風景、静物など)を忠実に描かく願望でもある「具象絵画の展開」が先に存在して、その後、19世紀後半頃よりその「具象絵画の解体」が始まり、20世紀に入って「抽象絵画」が誕生する経緯があります。
例えば、具象絵画の構成要素を「かたち」と「色」の2つに大きく分けたとき、ピカソに代表される「キュビズム」によって「かたちの解体」が、マチスに代表される「フォービズム」によって「色の解体」が始まり、その合流点が、抽象絵画の先駆者であるモンドリアンやカンディンスキーの作品に行き着くわけです。
けれど・・・・
正直なところ、こんな長々しい話を講座の始めに行っても、子どもたちが飽きてしまい、レクチャー中に他の興味あることを探し出してしまうことは想像に難くないです(笑)。
そして私の中にもある疑問、西洋美術史や抽象絵画に対する一般的な意見「抽象絵画は難しいもの」に対して、批判にも似た感情がわき上がりました。
「抽象絵画って決して難しいものではなく、もっと生活の身近なところに存在するし、具象絵画と同じくらい親しみのあるものだと思うんだけどなぁ~」と。
ちなみに、美術史学者の本江邦夫氏は著書「●▲■の美しさって何?」の中で、その抽象絵画の難しさの大きな理由について次のように述べています。(個人的にこの本の一読をお勧めします!抽象絵画の入門書としても、すごくおもしろい良書だと思います。)
抽象画はわからない、むずかしいと、よくいわれますが、それは「みる」ことは、そのまま「わかる」ことだという思いこみがあるからです。・・・・
だいたいにおいてわたしたちの社会は、わかるもの、名前をもったものでできあがっています。名前のはっきりしたものにかこまれているかぎり、私たちは安心なのです。
つまり、私たちが目の前にする絵の中に、具体的な名前の付いた何かが描かれていないと、人間の本能?性分?として、不安を感じ、ついつい敬遠したくなるものだということです。
そもそも、私と抽象絵画の出会いは、おそらく小学生の頃に習っていた「書道」がきっかけだったと思います。
近所にあった書道教室には、小さい子どもからお年寄りの方まで一緒に書道を習っているところで、例えば私が筆で「楷書」と呼ばれる基本の書体を書いていると、机の隣ではおばあさんが文字を崩した書体(草書や行書)を書いているといった具合です。
そのとき、子供心にその形が崩れた文字にある種の憧れを感じていました。「いつか僕も書いてみたい」と。
そして書道の世界には、文字そのものが抽象絵画にも見える作品があることを後に知りました。(当時、家族と一緒に書家の榊莫山(さかきばくざん)氏の教養番組をよく見ていました。)
話を戻します。
当初の講座内容は「体と同じくらい大きな画用紙を床に置き、絵具や墨などで体全体の動きを使って抽象絵画を描く」ものでしたが、上記のことを考慮し、途中、子どもからシニアの方まで誰でも簡単に楽しめる抽象絵画を学べる内容を考えつきました。
「知性」ではなく、その人が持つ「直観力」と「感性」、そして「心と体の動き」を生かして描いていきます。
詳しい内容については講座当日までのお楽しみです。
うまくいくかどうかは分かりませんが、きっと楽しんでもらえると思っています。
もし期待はずれでしたら申し訳ありません。
それではまた!
参考資料:
「抽象絵画への招待」大岡信・著/岩波新書
「カラー版 20世紀の美術」美術出版社
「◯△□の美しさって何?」本江邦夫・著/ポプラ社教養文庫
「子どもたちが椅子に座って机の上で作品を制作するだけでなく、体全身を使って作品を制作する機会を設けたいなぁ~」と。
制作行為は、黙々と椅子に座り、イーゼルや机の上だけのものでは決してありません。
そのときはただ漠然と「来年に是非、大きな画用紙を床に置き、体全体の動きを使って、抽象絵画を描く講座をやってみたい!」と思っていました。
アメリカ抽象表現主義を代表する作家
ジャクソン・ポロック(1912~1956)
床に敷いた大きな画布に筆でペンキをたたきつけるように描いています(ドロッピング)
その様子が「アクションペインティング」の由来ともなっています
作品No.5(1948)
しかし、今年に入って具体的な講座内容を考えていた時、ある懸念が湧いて来ました。
私たち大人も含め、特に小さい子どもたちが「抽象絵画」を理解できるのだろうか?どうやって抽象絵画の魅力を伝えることが出来るのだろうか?
西洋美術史における「抽象絵画」の歩みを紐解けば、私たち人類の対象(人物や風景、静物など)を忠実に描かく願望でもある「具象絵画の展開」が先に存在して、その後、19世紀後半頃よりその「具象絵画の解体」が始まり、20世紀に入って「抽象絵画」が誕生する経緯があります。
例えば、具象絵画の構成要素を「かたち」と「色」の2つに大きく分けたとき、ピカソに代表される「キュビズム」によって「かたちの解体」が、マチスに代表される「フォービズム」によって「色の解体」が始まり、その合流点が、抽象絵画の先駆者であるモンドリアンやカンディンスキーの作品に行き着くわけです。
芸術の起源であり、絵画の起源でもある
ラスコーの洞窟壁画(フランス)
およそ2万年前に制作されたもの
↓
具象絵画の代表作
レオナルド・ダビンチ作「モナリザ」(1503-1519)
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形の解体「キュビズム」 色の解体「フォービズム」
パブロ・ピカソ作「Girl with a Mandolin」(1910) アンリ・マチス作「Woman with a Hat」(1903)
↓
抽象絵画の始まり
カンディンスキー作「コンポジションⅦ」(1913)
↓
アメリカ抽象表現主義の一人
ヘレン・フランケンサラー作「Mountains and sea」(1952)
個人的に大好きな女性作家です
けれど・・・・
正直なところ、こんな長々しい話を講座の始めに行っても、子どもたちが飽きてしまい、レクチャー中に他の興味あることを探し出してしまうことは想像に難くないです(笑)。
そして私の中にもある疑問、西洋美術史や抽象絵画に対する一般的な意見「抽象絵画は難しいもの」に対して、批判にも似た感情がわき上がりました。
「抽象絵画って決して難しいものではなく、もっと生活の身近なところに存在するし、具象絵画と同じくらい親しみのあるものだと思うんだけどなぁ~」と。
ちなみに、美術史学者の本江邦夫氏は著書「●▲■の美しさって何?」の中で、その抽象絵画の難しさの大きな理由について次のように述べています。(個人的にこの本の一読をお勧めします!抽象絵画の入門書としても、すごくおもしろい良書だと思います。)
抽象画はわからない、むずかしいと、よくいわれますが、それは「みる」ことは、そのまま「わかる」ことだという思いこみがあるからです。・・・・
だいたいにおいてわたしたちの社会は、わかるもの、名前をもったものでできあがっています。名前のはっきりしたものにかこまれているかぎり、私たちは安心なのです。
つまり、私たちが目の前にする絵の中に、具体的な名前の付いた何かが描かれていないと、人間の本能?性分?として、不安を感じ、ついつい敬遠したくなるものだということです。
そもそも、私と抽象絵画の出会いは、おそらく小学生の頃に習っていた「書道」がきっかけだったと思います。
近所にあった書道教室には、小さい子どもからお年寄りの方まで一緒に書道を習っているところで、例えば私が筆で「楷書」と呼ばれる基本の書体を書いていると、机の隣ではおばあさんが文字を崩した書体(草書や行書)を書いているといった具合です。
そのとき、子供心にその形が崩れた文字にある種の憧れを感じていました。「いつか僕も書いてみたい」と。
そして書道の世界には、文字そのものが抽象絵画にも見える作品があることを後に知りました。(当時、家族と一緒に書家の榊莫山(さかきばくざん)氏の教養番組をよく見ていました。)
以前、都内の専門学校に勤めていた時、イベント用で制作したものです。
このとき、自然の流れを一本の線で表現しました。
話を戻します。
当初の講座内容は「体と同じくらい大きな画用紙を床に置き、絵具や墨などで体全体の動きを使って抽象絵画を描く」ものでしたが、上記のことを考慮し、途中、子どもからシニアの方まで誰でも簡単に楽しめる抽象絵画を学べる内容を考えつきました。
「知性」ではなく、その人が持つ「直観力」と「感性」、そして「心と体の動き」を生かして描いていきます。
詳しい内容については講座当日までのお楽しみです。
うまくいくかどうかは分かりませんが、きっと楽しんでもらえると思っています。
もし期待はずれでしたら申し訳ありません。
それではまた!
参考資料:
「抽象絵画への招待」大岡信・著/岩波新書
「カラー版 20世紀の美術」美術出版社
「◯△□の美しさって何?」本江邦夫・著/ポプラ社教養文庫
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