陰翳礼讃について

さて、それでは早速、陰翳礼讃についてお話しする前に、その著者である谷崎潤一郎が生きていた時代背景について少し触れたいと思います。

谷崎潤一郎<1886年(明治19年)~1965年(昭和40年)>その人の詳細については、ここでは省かせていただきますが、代表作に「痴人の愛」「春琴抄」「細雪」があり、言わずと知れた近代日本文学を代表する小説家です。

彼は三つの時代(明治・大正・昭和)を生きた人でした。

時代が江戸から明治に入り、急激に日本人の生活・習慣が西欧化(文明開化)していったのは皆さんもご存知の通りです。そして大正デモクラシー、二つの世界大戦を経ていきます。

今を生きる自分にとっては、この激動とも言える時代の変化は想像し難いのですが、谷崎は当時の身近な生活の変化に対してこのように言っています。


「照明にしろ、暖房にしろ、便器にしろ、文明の利器を取り入れるのに勿論異議はないけれども
、それならそれで、なぜもう少しわれわれの習慣や趣味生活を重んじ、それに順応するように改良を加えないのであろうか、」


谷崎はこの随筆(1933年・昭和8年発表)の中で、生活の変化に伴う忘れられつつある日本の美意識、特に私たち日本人の(一概には言えませんが、西欧ではネガティブに捉えられがちな)「陰」や「闇」に対しての美意識を具体的な例(照明、料理、日本建築、日本人女性、能など)を通して話を展開しています。

例えば、漆器について、

試しに漆器のお椀に永谷園のお吸いもの(笑)を入れて撮影!


「日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。・・・・・が、それを一層暗い燭台に改めて、その穂のゆらゆらとまたたく陰にある膳や椀を見詰めていると、それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを持ったつやが、全く今までとは違った魅力を帯び出してくるのを発見する。・・・・・・

第一、蓋を取った時に、陶器では中にある汁の身や色合いが皆見えてしまう。漆器の椀のいいことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持ちである。」

西欧から来た照明では部屋の隅々まで明るくしてしまい、闇との調和を壊してしまいます。それはそのまま、その闇に隠れた私たちの想像力を掻き立てるものや瞑想的なものを押しのけてしまいます。

つまり、谷崎は「私たち日本人は陰影を基調とした闇というものと切っても切れない関係があるのだ」ということをこの本の中で主張しています。


私個人の見解は、この切っても切れない闇との関係は、日本人の根底にある自然とのつながりや対話・接し方に起因すると考えています。

この話をすると、かなり長い話になるので、簡単に説明をすると、

私たち日本人は生きていくために、自然に対して「対立」や「隔離」ではなく、「調和」や「融和」の考えで接していったのだと思います。

決して西欧の「一神教」や「砂漠の宗教」(日本は「多神教」や「森の宗教」)から生まれた上記の考えがだめだということではありません。彼ら彼女たちの日本とは全く異なる環境に対して生まれた生きていくうえでの英知です。ただ現在、世界全体で多様性が謳われている中、地球上全ての地域でひとつだけの考えだけでは当てはまらないだけのことです。

谷崎はこのようにも言っています。

「西洋の方は順当な方向を辿って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代わりに、過去数千年来発展し来った進路とは違った方向へ歩み出すようになった、そこからいろいろな故障や不便が起こっていると思われる。」


皆さんは「里山・里海」という言葉をご存知でしょうか?

私たち日本の国土は島国で、そのほとんどが山と海に囲まれています。私たちが生きていくためには、その山を、その海を切り開いていく必要があります。しかし、古の祖先たちは、山に対して海に対して人が入っても良いところと、決して入ってはいけない領域(=闇や奥の考え)を設けました。

(松尾芭蕉の「奥の細道」の「奥」は、確かこの意味から来ていたような気がします。)

つまり、人の住む「里」、人と自然が交わる「里山(里海)」、自然のみが残る「山(海)」のような「ゾーン分け」ないし、人と自然のやさしいグラデーションを描いたのです。

そして、人の住む場所を「光」、人の手の届かない自然・奥の場所を「闇」とすると、その闇には私たち日本人の自然に対する畏怖の念や感謝の念が存在するところだと思います。

例えば日本建築においてもこの関係性を見て取ることができます。

それは外(自然)と内(人)を遮断してしまう壁構造ではなく柱構造にして、外からの光や湿度、空気を取り込むのに、可動式の雨戸や簾、障子や襖が建物の中で柔軟に機能し、そして縁側を中間として外(自然)と内(人)とのゆるやかな会話を促す構造になっていること。


私にはこれらの事実が、強いては今エコロジーの問題解決の糸口になると感じてなりません。



話が長くなってしまいましたが、皆さん、いかがだったでしょうか?

ここでの話は私個人の話なので不適切な点や間違った点があるかもしれません。もしご指摘があれば幸いです。また、陰影礼讃は60ページ程の文章なので、ちょっとした時間で読めると思います。一読をお勧めします!

そしてこの夏、行灯づくりを通して陰影の世界へ一緒に旅してみませんか?



参考文献:
「陰翳礼讃」 谷崎潤一郎 中央文庫
「里山 Ⅰ・Ⅱ」 有岡利幸 法政大学出版局
「里海資本論」井上恭介 NHK「里海」取材班 角川新書
「風土の日本・自然と文化の通態」オギュスタン・ベルク(篠田勝英:訳)ちくま学芸文庫



コメント